三月堂 謎の八角形

三月堂の北側にのべ石で八角形に囲んだ花壇のようなものがあるのをご存知でしょうか。私も三月堂を右に見ながら二月堂の参道下の門にいたる経路から少し外れた位置にあるのでこれまで気づいておりませんでした。
たまたま「東大寺物語」(狭川普文著 フジタ刊)を読んでおりましたら、これに関する記述がありまして改めて見に行ったしだいです。

チェーン柵の石杭が八角形の遺構を無視するように2本も打ち込まれているので、由緒ある遺構とは思いにくい状態になってます。

前述の「東大寺物語」によると写真の八角形は花塚と呼ばれていて三月堂で過去に行われた「千日不断花」という行法に供花として使われた樒(しきみ)を捨てる所ということです。「千日不断花」では名前の通り供花が重要視されたと書かれています。花を絶やさないようにたくさんの供花として使われた樒を裏側の出口から外に運び出し縁側から花塚に向かってポイポイ捨てていたんでしょうか。

「千日不断花」の修行に関わる遺構としてもう一つ紹介されていた施設があります。
三月堂の正面からの写真をみるとお堂は左右対称で綺麗だと思いますが右側だけ余分なものがついています。「閼伽棚あかだな」と呼ばれているようです。供花やお水を一時的に保管しておく場所で三月堂の閼伽棚は特に大きくて、「千日不断花」に大量に花が使用されるので閼伽棚も大きい作られていると書かれています。

 「千日不断花」の行法の内容は法華堂(三月堂)、中門堂(永禄10年の兵火で焼失して廃絶)に所属する僧侶が、法華堂、天地院、閼伽井社の三箇所を回りながら修行したと書かれています。天地院、閼伽井社は春日山にあるようです。比叡山で行われている千日回峰行のようなものらしい。

「東大寺物語」によると「千日不断花」については三月堂内陣の扉の柱に次のような落書きが残されていると書かれている。

①( 西 側 扉 北 の 柱 )
始自長承元年(1132年)十一月廿八日千日不断花也
( 西 側 扉 北 の 柱 )
保延元年(1135年)八月廿三日千日満但結願九月十二日畢

②(東 側 扉 北 の 柱 )
久安五 四月十 四日自千日花奉始畢也
(東 側 扉 南 の 柱 )
仁平元年(1151年)十二月卅日

③( 東 側 扉 南 の 柱 の 内 面 )
平治元年七月十三日千日花奉始

①で日にちをカウントすると1000日、②で日にちをカウントすると991日(別の資料では992)となります。②は少し疑問が残りますが約千日ということでしょうか。実際、この行をやられたといことなんでしょう?③は終わった日の落書きがないようなので、ひょっとして途中で挫折したのか単に落書きできなかっただけなのかわかりませんが気になりますね。

それにしても、八角形の花塚を無視して大胆に柵を設けるとはなかなか思い切ったことをしたもんだなと思います。八角形を囲うようにできなかったんでしょうか。

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